~ 6つの助け ~

2019年4月

東京ステーク中野ワード

それは

一通のメールが始まりでした。発信人はユタ州在住日系4世のBret Hamatake(ブレット・濱武)兄弟。ファミリーツリーから関連する人へメッセージを送ることができる機能を使ったものでした。「あなたと共通の先祖がいるようです。戸籍謄本があればシェアしたい」、と問いかけられました。自分のルーツを知りたいというBretの熱い想いを感じましたので、「できることはします」と答えました。

奇跡の始まり ~6つの助け~

助け①

しかし、どのように調査を進めてよいものやら皆目見当がつかなかったため、教会の家族歴史部に相談しました。すると「移民なら外務省の渡航記録に記載されていますよ」と示唆をいただきました。早速外務省に出向き渡航記録を閲覧させてもらいました。渡航時期を伝えると「前後数年は見た方がいいですよ」と出してもらった資料はマイクロフィルム何巻かと5cmほどの厚みの紐綴じ紙束5冊。まずマイクロフィルムの内容を画面に映し出して名前を見つけようとしましたが、1ページずつ目で追う作業は思ったより大変なもので、目が疲れてしまい見つけることができません。次に紙の資料を開いて探し始めましたが、腕が痛くなってこれも2冊でギブアップしてしまいました。数日後2回目の挑戦でマイクロフィルムをゆっくりと見直したところ一致する名前“濱武平蔵”と妻“木山ミヨシ”を見つけました。一日目では見落としていたものが二日目に発見できた形です。でも記載されていた地名は“熊本県飽託郡中島村”。Bretから聞いていた“米田”ではありません。町村合併で現在は無くなってしまった地名でしたので熊本市役所に除籍謄本を請求してみました。が、やはり「一致する戸籍はありません」、と事務的な返事がきました。また番地が記載されていなかったので試みに私の過去の謄本にある番地で熊本県山鹿市役所に請求してみましたが、こちらも「ありません」と回答がきました。行き詰まったと思いましたが、不思議に西の方角から「待っているんだからー!!」と沢山の死者の声が聞こえる気がして、どうにかしたい気持ちが湧いてきました。

助け②

母の従兄(叔父)に相談しました。以前から先祖探求で有益なアドバイスをくれる叔父で困った時に頼りになる存在です。叔父は「濱武姓なら、地名は“長坂”しかない」と断言しました。現在の熊本県山鹿市になります。叔父自身にとっても繋がりのある先祖であり、濱武姓については多少の知識があったのです。叔父の勧めに従い、地名を“長坂”に替えて戸籍請求してみたところ、何と見つかったのです。市役所から除籍謄本が届きました。まるで幕の向うから返事が来たような不思議な感覚を覚えました。Google Mapで住所を入力すると近くに墓地のような場所が見えました。それをBretにメールしたところ泣いて喜び、日本に来ると言うのです。

さらに情報が得られないかと考え、その地名宛てに速達往復ハガキを出しました。速達にしたのは私の熱意を表したかったからです。後でわかったのですが、残念ながら該当地番には濱武姓の人はおらず、別の人が住んでいたのです。

助け③

実は、郵便配達の方が近くの濱武姓を10軒以上も当たって探してくださっていたのです。なんと配達員の方も同じ名字で「気になった」と仰っていました。「ここが最後だ。だめなら送り返そう」と思って旧姓“濱武”の奥さんのお宅にハガキが持ち込まれたのです。地元の方ならではの思い付きかもしれません。

助け④

しかし、そのお宅後藤さん夫婦は不在でした。でも、たまたま帰省中の娘さんが応対され「ご縁ですから」と一旦預かって下さったのです。帰宅された後藤さん宅で家族会議が開かれ事情を知ったご夫婦は「他人事とは思えない、何とかしてあげたい」と調べてくださることになりました。

後藤さんは点在する墓地の一つに見当をつけて現地を確認してくれました。そこは草や竹が生い茂る荒れ放題の土地で、墓石らしきものがいくつも見えたが手は届かない有様だったそうです。草刈り機で竹藪を切り開いて下さいましたが、まだ墓石の表面は苔と土、更に蔦にも覆われており、わずかに“平”という字、“天保”という字が見える程度でした。

助け⑤

翌日からの10日間に大雨が降ったのです。自然の高圧洗浄です。その結果、何と墓が洗われ墓碑銘が読めるようになったのです。電話で知らせていただいた時はゾクゾクする感覚が走りました。私は感謝の言葉を何回も伝え翌月現地(熊本県山鹿市)へ向かいました。地元の方に教えていただいた菩提寺へ行き、過去帳も見せていただき、持参したShotBoxで撮影させてもらいました。翌月にはもう一人の先祖のお寺にも行き確認と撮影をさせてもらいました。

また、三重県にも沢山の先祖が居たことがBretの取得していた戸籍で判明していたのでこちらは比較的スムーズにお寺にたどり着くことができました。由緒あるお寺できちんと索引付けされた過去帳の閲覧と撮影をこころよく認めてくださいました。これらのお寺を訪問するにあたっては事前に詳細な説明文と除籍謄本のコピーを送っていましたので、暖かく迎えていただきました。また、タイミングがいいことに住職の甥っ子さんのクラス全体の昨年の夏休み自由研究のテーマが「お墓を探そう」だったそうで、最終的に住職が手伝われ点在する墓地のどこそこにどの家のお墓があるか詳細に再検証できていたそうです。そこへ外国から先祖探求の話が飛び込んできた形になったものですから、タイミングはよかったと言えるかもしれません。

助け⑥

振り返ってみれば、山鹿市職員の方が大変協力的でした。まるで私たちの先祖探求を暖かく受け入れてくれたかのように感じました。私がBretに「市長を表敬訪問したらいい」と勧めたのですが、秘書室の方も進んで市長との面会をセットアップしてくれました。

 市職員だけではありません。熊本ワードの友人にも話したところ、地元紙(熊本日日新聞)へ連絡してみるようアドバイスしてくれました。その助言のままに新聞社に電話すると、ご本人が来られたら取材させてもらいますので、それまでに是非概要をまとめておいてください、とトントン拍子に話が進みました。

ブレット家族来日

2018年5月14日 Bretが奥様と三人の娘を伴って来日しました。以前から日本の先祖探求を深めたいと考えていたそうで、今回の結果については大変喜んでくれました。同日、市長と面会しました。お世話してくださった後藤さんご家族も同席してくださいました。姪御さんも通訳のためにわざわざ隣県の福岡から来てくれました。市長がブレット兄弟と握手を交わした際に尋ねられました。「あなたはどうしてわざわざ先祖のためにアメリカから日本に来られたのですか?」Bretが口を開き「なぜなら自分の先祖を知りたいから・・・」言いかけましたが感極まり涙で言葉になりません。その場が一瞬シーンとなり、全員が涙に咽ぶことになりました。手伝って下さった後藤さんご家族は「ところで、俺達の先祖の墓はどがんなっとるとだろか?他人ン家とは探したばってんが」(※ところで、自分たちの先祖の墓はどうなっているだろうか?人様の墓は探したけど)とご自身の先祖のことが気になり始めた様子でした。

翌15日 地元紙県内総合面に写真入り記事が掲載されました。

全ては

思いがけない海外からの一通のメールから起きたことです。不思議な助けが繋がって奇跡的に先祖探求が進みました。どの助けが欠けてもこの結果には到達し得ませんでした。本当に不思議な出来事です。私には先祖が先祖を連れてきたように思えてなりません。死者が死者を連れてきたのです。早く身代わりの儀式を受けてほしい、と訴えているようにも感じました。やはり、自分の先祖は自分が救わなければならない、との思いを一層強くした経験でした。

さらに

今年3月4日にはBretが単身で再来日し墓地の整備を行いました。事前に業者に依頼してコンクリートの大きな基礎台を作成していました。その上に自らモルタルを当てて32基の墓石をしっかりと立てたのです。墓石を並べ直す作業のために2週間の休暇を取得してきました。そのことが3月13日再び同じ新聞に写真入り記事が掲載されました。「今どき日本人でもここまでやる人はいない」との地元区長の言葉も紹介されています。14日には同紙の読者から「日系男性の墓整備に感動」との投稿がカラーイラスト付きで掲載されました。

ブレット兄弟の曾祖父が1904年米国サクラメントに移住して114年間放置されていた墓が4代後の子孫によって盤石に美しく据え直されたのです。基礎台には鉄筋が入れてあり、業者の方の言葉を借りれば「100年はもつ」強さだそうです。2年後にはBretの双子の兄も一緒に来て雑草が生えないよう周りをコンクリートで舗装するそうです。ブレット兄弟と私の共通の先祖が来世で安心して過ごし、先祖がこの世に存在した証拠が末永く残り、代々の子孫に伝えられることを願ってやみません。

この教会の死者の救いの業は本当に主の業だと思います。これほど先祖を大事にする教会が真実でないはずはありません。末日にエリアの預言が成就し、私の周りでも大いなる業がすごい速さで進んでいることを実感しています。私はこれまで累計で1万2千人以上の死者の名前を提出してきました。それらの人々が霊界で福音を受け入れ、身代わりの儀式を今か今かと待ち望んでいる姿を思うと、私にできることは全部したいと思います。時々、先祖からのメッセージではないかと思えるような不思議な出来事に遭遇することがあります。先祖なしに私たちはなく、私たちなしに先祖もないと思います。家族歴史を通じて大きな祝福を得ています。

余談

撮影した過去帳の画像の入ったiPadを誤って水没させてしまい、写真を含む全てのデータが失われました。しかし教会のパソコンにコピーしていたので、次に買ったノートPCに取り戻すことができました。しかしそのノートPCも3日目に壊れました。さらに信じられないことに再交換してもらったノートPCもまた3日目に壊れたのです。つまりデータは3回消えたことになります。何か良くない力が働いていたとしか思えませんでした。が、最終的には復元することができ感謝しています。

また、お寺に保管されている過去帳は大変大事なもので、ご住職も取り扱いにはとても気を遣っておられます。撮影にはなおさらです。通常は拝見するだけですが、撮影した画像の取り扱いは私たちに責任があります。流出させないなどお寺にご迷惑が及ばないよう細心の注意が必要だと強く感じています。